伊達静

伊達静 爪掻本綴作家

井筒屋弥助は江戸時代から西陣高機仲間として知られた旧家です。
文化10年、現在地の天神北町で生まれた4世弥助(伊達周斎)は生来学問を好み、和漢をはじめ蘭学、理学、医学を学んだ秀才で、高邁な気風を備えた逸人でした。
明治維新の西陣はだんだんと衰退していき、京都府は西欧技術導入のためフランスでは絹の都として有名なリヨンに留学生を派遣しました。
次いで明治5年、周斎は政府から西陣を代表してウィーンに派遣されました。
渡欧団の中でも最年長であった60歳の彼は、「西陣を興すの時期、この行にあり。一身一家を犠牲とする敢えて辞する処にあらず」と病床の妻に決意の程を書き送っています。
ウィーンの織物学校で織技を学び、欧州各地を視察して明治8年大任を果たして帰国した周斎は、明治天皇の御前で機械や技術を披露しました。
この産業革命ともいえるジャカードの導入は、西陣を飛躍的に発展させました。
息子の5世弥助は、種々の織物の改良に努め「伊達の錆織」を創案しました。
明治23年に西陣機業界で初めて帝室技芸員を拝命し、名工として全国に名を馳せました。
西陣の発展に貢献した先祖の思いを汲むかのように九代目当主の伊達静さんは綴れ織を習得し、自らも製作に取り組まれてきました。