平良敏子(たいら としこ)

平良敏子 (たいら としこ)芭蕉布(ばしょうふ)人間国宝

こちらは人間国宝 平良敏子さんによる手結い、手織りの喜如嘉の芭蕉布の作品です。
沖縄県織物検査済之証、喜如嘉の芭蕉布保存会・喜如嘉芭蕉布事業共同組合の割り印、伝統工芸品之証・平良の落印がついております。
経糸、緯糸ともに手績み芭蕉糸が100%使用されています。
染料に琉球藍・車輪梅を用いております。

芭蕉布人間国宝の平良敏子喜如嘉の芭蕉布

数ある沖縄の織物の中で最古とされる織物【芭蕉布】は、13世紀頃に織られるようになったと考えられています。
かつては沖縄県内各地で制作されていましたが、生活様式の変化に伴い生産者は減少し、今では主に大宜味村(おおぎみそん)の喜如嘉(きじょか)で作られています。

喜如嘉の芭蕉布が全国的に有名になったきっかけは、昭和14年(1939)。
当時の平良真次区長が東京三越で開かれた特産品即売会に芭蕉布を出品し、一躍脚光を浴びました。
その後、大宜味村芭蕉布織物組合の結成や工場も各地に建設されたが、太平洋戦争の勃発とともに中断されてしまいます。
沖縄戦での大きな被害を免れた喜如嘉では、昭和20年(1945)7月末に芭蕉布の生産を再開し、芭蕉布の復興に人力したのが平良真次区長の娘の敏子さんでした。

敏子さんの作品は高く評価され、「喜如嘉の芭蕉布」は優れた工芸品として認められるようになっていきました。
昭和47年(1972)、沖縄が日本に復帰すると同時に芭蕉布は県の無形文化財に指定されます。
その後国からは「喜如嘉の芭蕉布保存会」が重要無形文化財の保持団体として認定されます。

平良敏子さんは、20代で勤労隊として倉敷に赴き、帰郷の折に倉敷紡績の社長の大原総一郎氏と民藝運動のリーダーの一人外村吉之助氏からかけられた「沖縄の織物を守り育てて欲しい」との言葉を真摯に受け止め、誠意で応え続けてきました。
様々な出来事を乗り越えて芭蕉布と共に生き、技術を徹底的に磨き、そして後継者育成に励み、平成12年に人間国宝に認定されます。
現在でも第一線の制作現場に立ち、沖縄が世界に誇る伝統工芸として末永く後世に受け継がれていくことを強く願っていらっしゃいます。

芭蕉布は「蜻蛉の羽」と例えられるほど透き通るような透明感、光沢、清涼感を兼ね備えています。
芭蕉布は2~3年で成長した糸芭蕉の葉梢を剥がして精錬し、さらに繊維を細かく裂いて、撚りを掛けて織り糸にし、一反の反物を織るには200本の芭蕉の木が必要とされています。
芭蕉布づくりは 全てが機械を一切使わない手工業であり、糸芭蕉の栽培から、糸を績み色を染め一反の布に織り上げるまで、かたときも気を緩めることができないのです。
染料も全て「テーチ(車輪梅)」や「エー(琉球藍)」など、地元の自然にあるものから作り出されますのでこの上なく素朴で深い味わいが生まれます。

芭蕉布について